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トニー・レオンはレスリーを思って歌う

2013.3.30 明報

トニー・レオンは久しく香港でステージに立っていないが、哥哥のため、彼は慣例を破って再び口を開き、遠方の親しい友人に思いを送る。
トニー・レオンはレスリーを思って歌う
フローレンス:最も言いたいのは、レスリーと一緒にありがとう
文章の期日:2013年3月29日 明報


【明報ニュース】「哥哥」レスリーは生前言ったことがある:「将来、80年、90年代の芸能界について言うことがあった時に、レスリー・チャンがいたことを覚えていてくれたら、私はそれで満足です!」10年来、彼がいなくなったことで、彼の名前が少しずつ忘れられていくこと、長年共に戦う「身内」として、フローレンスは哥哥は人々がまだ覚えているだろうか?と思っているだろうと考える。これは比較的含蓄がある言い方だ。哥哥はみんなが彼を恋しく思い、愛していることを望んでいる、だから去年から哥哥にあるプレゼントを準備している。3月31日と4月1日に香港コロシアムで連続2夜の異なる形式の《継続寵愛・10年・コンサート》を開催し、哥哥に代わって長年の変わらない気持ちをファンに送る。


◆記者:記 ◆フローレンス:陳

記:今回の2回の異なる形式の記念コンサートは早々とチケットはソールドアウトになり、あなたはずっと出演者を明かしていませんでした、最近ようやくジャッキー・チョン、ヴィヴィアン・チョウ、ケリー・チャン、アンソニー・ウォン(黄耀明)、カレン・モク、ジョーイ・ヨンなど数名の歌手の名前がわかり始めていますが、ずっとうわさのある《ブエノスアイレス》共演者のもう一人のスーパースターのトニー・レオンについて聞いていいですか?

陳:はい、今回は本当にトニー・レオンにたくさん礼を言わなければなりません、彼とレスリーは本当に良い付き合いの友達で、哥哥は生前また亡くなっても、哥哥は永遠に彼の心の中に存在します。今回のコンサートのゲストは皆、哥哥ととても親交があります。私はかなり早い時期から、一人一人すべてに自ら手紙を出して彼らを招待しましたが、その中でレオンははっきりと承諾してくれただけでなく、ただ「すべてあなた達の手配を待ちます。」と言ってくれました。手配の流れの上で、彼の出演部分に変更があっても、レオンの返事は「あなた達の手配通りするようにします!」だけでした。全く要求も出さず、彼はただ哥哥のため、この良い友達を記念するためにと、レオンは本当に心あるとても良
い哥哥の友達です。

記:レオンのステージは一曲歌を歌うだけですか?

陳:私はあまり前にコンサート内容を明かしたくない、みなさんがその時に見て欲しいのです、もし内容を事前に公表してしまうと、完全性がなくなります。その夜会場で数千人の観衆が鑑賞する以外に、TVB、香港電台、香港商業電台と新城電台、で生中継と翌日放送し、シンガポール、マレーシア、韓国、英国、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オーストラリアとニュージーランドでも香港時間の夜10時同時に中継します。中国国内は江蘇衛星テレビのチャンネルと愛奇芸サイトを通してコンサートが観覧できます。台湾、日本ではライブシネマで生放送され、世界中で哥哥のファンがいる場所全てで鑑賞できる機会があることを望んでいます。

スー・チーはビデオ録りでじっと涙を我慢

記:4月1日のファンの集まりでは、多くの哥哥の友人のインタビューを上映しますか?

陳:本当に多くの友人が哥哥を惜しんでおり、この集まりでは哥哥の友達と共に彼を追憶しようと、約20数名の哥哥の友人が彼との付き合いの逸話をビデオ録りし、多くの忠誠なファンたち、特に「後栄迷」(哥哥が亡くなった後に、彼が好きになったファン)はもっとたくさん哥哥の事を理解しようと、例えばチェリー・チャン、スー・チー、カリーナ・ラウなど。スー・チーはじっと涙を我慢していました、彼女は新人の時に哥哥と《夢翔る人/色情男女》で共演しましたが、哥哥は彼女の才能を評価し、更に彼女を香港コロシアムの舞台にそのコンサートのゲストとして、みんなに知ってもらおうと紹介しました、スー・チーはこの話をするといつも涙をこらえていると言います。

記:フローレンス、あなたは本当に多くの気持ちを哥哥に送るのですね?

陳:10年は長い時間でもないし、しかしも短い時間でもありません、私は今でもまだ気持ちは元通りの穏やかにはなれません、少しずつ薄れていくことも永遠にありえないと思っています。私はこれが公に哥哥のためにする最後の記念活動だと思っていますし、実際容易にはすることができないものです、だから今回私はできるだけファンの皆さんを満足させられ、更に天上の哥哥が私の気持ちをわかってもらえることを望みます。

夢の中で哥哥と10時間話す

記:フローレンス、10年来あなたは哥哥の夢を見たことがありますか?彼はあなたにどんなことを言いますか?

陳:ある時期、私はしょっちゅう哥哥の夢を見ていました、その後また長い間彼の夢を見ていません。最もよく覚えているのは1つのとても長い夢で、私は長距離便の飛行機で香港に帰っていて、機上で私は10時間ずっと哥哥と一緒で、みんなでずっと喋っていました。彼の夢の中の対話を、今でも7割以上の内容を覚えていて、とても如実にまた面白いのは彼が夢の中で私に、ある理由で、彼は私に一時期会えなくなると言うのです、それから本当に長い間彼の夢を見ず、彼の言った理由がその後本当に起こり、しかしそれは私と哥哥の間の秘密なので、それがどんな理由を公にはできませんが、私自身本当に真実だと感じています。

レスリーはメッセージを公にするよう啓発

記:フローレンス、あなたは以前コンサートであるメッセージを公開すると言われましたが、その後このメッセージは哥哥の遺言だという話が出ています。またあるいは夢の中での対話とも推測されますが、実際このメッセージは何なのですか?

陳:それは短い言葉で説明することはできません。私は長い時間を費やしても他の人にどのように表現し教えることができませんが、それが私の身に確かに起こったというのは、本当にとてもはっきりしている事です。私が表現できるならばもっと早くに公開していたのですが、このコンサートを準備している時に、私はこれがレスリーが私にくれた啓発だと感じ、コンサートの上でこの形式の表現を使って、その夜みんなが味わうことができるように、私はできる限りの力で表現します。

傷の痛み忘れ難く 再び記念の活動する気持ちはない

記:もしあなたは哥哥にひと言言うならば、彼に何を言いますか?

陳:(数秒間考え、目を赤くして)私は彼に「レスリーありがとう」と言うでしょう、その中には多くのことを含んでいるのを、彼は分かると思います。

記:あなたは哥哥の手伝いを、それも多くの芸能界の亡き友人達を手伝って、本当に大変なのでは。

陳:手伝いなどできていません。運命であり、変えられないものです。

フローレンスとレスリーを愛するのファンの彼に対する思いは、10年、20年、50年か?この思いは綿々と限りなくいつまでも続く!


《熱情コンサート》潮流の先

哥哥は1985年の初コンサート《レスリー夏の日コンサート》から、2000年の最後の《熱情コンサート》まで、15年の間に8つの大型コンサートを行ったが、大半をフローレンスと協力したものが占める。フローレンスにとって、彼女が最も好きなのは1989年の《告別楽壇コンサート》で、最も忘れ難いのは2000年の《熱情コンサート》だ;このコンサートの内容は論争を受け、哥哥の長髪のステージは、彼の歌の内容やパフォーマンスを見も聞きもしないで、「レスリーが女装」と決めつける人もいた。コンサート全体の内容は重要でなくなり、「レスリーが女装」が最も重要なことになってしまった。

フローレンスは言う:「私は本当にとても憤慨しました、このような井の中の蛙のような批評は何のためなのか?私は批評する人を決して受け入れることができません、客観的に公平でなくてはならないのに、根本的に哥哥が女装したのではありませんし、どうして長髪だけで、彼らの個人の考えに任せて、コンサートの定説を決めつけなければならないのか?あの時私は名誉回復の為に努力しました、幸運なことに観衆の目はくもりなく、彼らは鑑賞する目をもっていて、更に幸運にも《熱情コンサート》のために正義の声を出す公平に客観的なマスコミが、ファッションのデザイナーを探してきて哥哥のコンサート全体を分析し、あれは天使から悪魔へのパフォーマンスだと。」

このコンサートは10年後に見ても、依然として潮流の先を行くものであり、そしてフローレンスに磨滅することない情の結び目を残した。

生前の終わらない映画監督の夢

レスリーが亡くなる3日前、私(記者)は哥哥と電話で話したことがある、その時哥哥はちょうどフローレンスとアフターヌーンティーをしていた。フローレンスは哥哥に電話を手渡した。その時胃酸逆流の影響で喉が少しかすれていた哥哥は、楽しそうに私に言った:「もうすぐまたレコーディングをするよ、それと映画撮影も映画監督をすることを構想していて、今の病状(胃酸逆流)の回復状況はとても良いんだ!」どうして信じることができるだろうか三日後に訃報でを耳にするなんて?頭の中でずっと問いかけていた:「なぜ?」フローレンスは:「哥哥のために、私は鬱病について理解しようと調べました、この病気は薬を飲んだら良くなるというものではない。この結末はみんなが思ったものではありま
せんが、しかし10年前はみんなこの病気に対して曖昧模糊としていて、更には人に自分が鬱病だと伝える勇気がなかった。しかし今はもう人に言えない病気だと心配することはなく、積極的に治療する、だから哥哥はみんなのために良い事をしたのだと思います。」

哥哥は生前、実現できていない願いに映画監督をすることがあり、フローレンスは:「もし彼が生きているならば、恐らくすでに多くの映画を監督しているでしょう、だから私は今回哥哥の手にディレクターズチェアを用意し、彼の願い叶えようと思います!」

強い女性は良い友人を最後まで支えます

フローレンスずっとみんなに「強い女性」だと思われているが、記者は彼女の「強さ」が仕事上だけではないと感じる、友達のために彼女のした事は、他の人が代わっても必ずしもやり遂げることができるものではない。彼女の身の回りの親しい友人、レスリー、肥姐(リディア・サム)、ローマン、ジェームズ・ウォンが相次いで亡くなり、彼女は悲しむだけでなく、友人たちのために葬儀の手配を行った;友達が病気になるに過程で、彼女は更に多くの時間を払って見舞い世話をし、一人一人友人たちが去っていくのを見てきた、フローレンスに一言聞いた:「あなたは鬱病を患ったことがありますか?」彼女は1秒かからず答えた:「もちろんないわ、レスリーがこの病気になって、私はこの病気の要因を調べ始めました、できるだけ友達の平凡なことにも気を配るように勧めます。」

肥姐のために誤解され

彼女は友達のためにした事も時には誤解を生むことがある、しかし友人の願いであれば、彼女はきっと最後まで支える;肥姐が病気になった後、友達の中には、フローレンスが彼らを肥姐に会わせないことに不平をこぼした、フローレンスは訴える:「正直に言うと、肥姐は生前、遊んだりマージャンしたり食事するグループの友人がたくさんいました、以前はきっと私に比べて肥姐に会う時間が多かったでしょう、しかしこのグループの友達はただ肥姐の楽しい様子を見るだけで、肥姐が病気になった時、彼女は友達を惜しみ、彼らの見ている『ピスタチオ(ハッピーフルーツ)』を分かち合う友達に、やつれて元気のない病気の様子を見せたくなかった、しかし私とエミー(亡き名監督の張徹の奥さん)は彼女の
良きの連れになりました。私が覚えているのは、当時ワールドツアーコンサートをしていて、しかし毎回香港に帰り、携帯電話をつけると必ず肥姐の電話を受け取りました、美味しい料理をたくさん作り、彼女の家に食べに来いと言ってくれるのです。」ここまで言うと、フローレンスは涙にむせび:「考えてみると、彼女は退屈で、何回も電話をかけてやっと私を探し当てます。それから私は仕事をすべて彼女の家あるいは病院に運んでしました、長い時間彼女に会えるので、彼女は目が覚めるとリビングに来て私に会い、雑談してまた安心して横になっていました、彼女が多くの友達の前で良い精神状態を装う必要がないためです。実は毎回友達が彼女を見舞ったあと、いつも体がとても疲れていました、私はただ、肥姐の最も楽しい1面をみんなが覚えていてくれたらそれで十分だという彼女の手伝いをしただけです。」
(レスリー逝去10周年記念特集)
記者:魏幼芳
撮影:鍾偉茵




 訳 by Naomi











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