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"If We Knew More..."





わたしたちがもっと知っていたら
 (2004年3月31日 サイスチャイナモーニングポスト巻頭記事より)


 歌手・俳優のレスリー・チャンは、1年前の明日に亡くなった。彼の自殺が「うつ病」に対する認識を高めてくれたら、と3人のファンは願う(記者:マシュー・スコット)。

 おおかたの香港住人と同じく、デボラ・リー・キッ・ミンは、昨年の4月1日の出来事でボーッとして混乱していた。午後4時ごろ、彼女はレストランの上客のひとりに手を振ってお別れをしたのだった。彼は、昼食にお気に入りのスパゲッティー・ボロネーゼを食べたあとの1時間以上もお店にいて、元気いっぱいに見え、お昼を一緒に食べた友人や、かれを顧客というよりは友人とみなしているお店のスタッフたちと冗談を飛ばしていた。

 しかし、その日の7時ごろまでに、レストランの雰囲気は変わってしまった。ニュースがぽつぽつと入りはじめ、みんなの目が、信じられないといったようにテレビに釘付けになった。

 レストランを後にして、レスリー・チャンは中環にあるマンダリン・オリエンタル・ホテルに向かった。そこで、彼はホテルのヘルス・センターの外のバルコニーに独りで坐り、飲み物を注文し、あとで紙とペンも頼んだ。午後6時41分、彼は24階下の通りに横たわっていた。消息筋によると、彼が遺したメモは、ある一言で始まっていた「depression(憂うつ)」それ以降ファンたちは、それがいったいどんな意味なのか理解しようとしてきた。

 「その日、レスリーは麻のスーツを着てきた・・・彼はいつも、とてもステキな着こなしをしていたわ。彼はいつものように友好的で、幸せそうに見えた。」亡くなるちょうどその時までチャンが週に3、4回は足を運んでいた、コーズウェイ・ベイの「フュージョン」で、48歳のリー(「フュージョン」のオーナー)はわたしに思い出を話してくれた。

 「ここは、彼が本当にリラックスできる場所だったの。」チャンのファンとなったリーは言う。「ファンが彼を見つけることもあったけど、彼らがサインをねだっても、レスリーはいやな顔をしなかったわ。彼はいい人で、お気に入りの席に座って、何回もお手洗いにいったわ・・・鏡を見て見栄えをチェックするのが好きだったの、そしてここでリラックスしていたわ。」

 4月1日、リーが言うには、いつもと何の変わりもなかった。「私たち、本当にショックを受けたわ。彼は店に入ってきて、わたしは『今日もステキね』と声をかけた。本当にいつもどおりに見えたわ。彼がいつも座っていた席のあたりでは小さなパーティーがあって、彼には窓のそばの席に座ってもらったの。午後3時にお店を閉めるのだけど、ここは彼の家みたいなものだから、私たちは店を掃除して、彼はそこに座っていた。当時はSARSが流行っていて、誰かがくしゃみをしたのよね、そしたら彼は顔を手でおおって、友達とわたしに『僕は死にたくないからね』と、笑って言ったのを覚えているわ。彼はいい精神状態にあったわ、だから私たちは、ものすごいショックを受けたの。誰かが電話で教えてくれて、私たちはすぐにテレビをつけた。立ちっぱなしで、信じられない気持ちでテレビを見つめていたわ。」

 「フュージョン」のお店で、私たちはレスリーのファンであるジュリー・ンー、ジョセフィーン・プーン、サラ・チェンと落ち合った。2月に、ンーとプーンがわたしに連絡をしてきた。彼女たちは心配していた。ジョン・ウーとのインタビューで、彼がレスリーの死について言及し、ファンたちに与える影響について危惧していると語ったのだ。彼女たちの心配は、ウーがレスリーの死の原因、うつ病についてよりも、レスリー本人に視点を置いていることだった。それで、彼女たちは「フュージョン」で、その店のスタッフたちとともに、彼の死を耳にしたときの混乱について、彼の死が及ぼしている影響について、そして・・・何にせよ・・・そこからファンたちが学べることについて一緒に考えようと提案してきたのだった。

 「彼の死からわたしたちが学んだことは」ンーが言う。「レスリー・チャンがレスリー・チャンを殺したのではないの、うつ病がレスリー・チャンを殺したのよ。彼のように成功した人でも、この病気にかかることがあるということ、そしてその病気は治療できるということを、ファンのみんなに知っていてもらいたい。」

 この3人は、レスリー・ファンとして興味深いお手本だった。チェンとプーンは20年以上も彼を追いかけているが、ンーは去年の4月1日以降からのファンだ。「彼が亡くなってから、ファンになったの。」ンーは言う。「ローカルな音楽や映画には興味はなかった。でも彼についての文章を読んだりして考えはじめたら、彼がいかに大事だったか、そして私たちがいかに大きなものを失くしたのか分かったの。彼は、紳士で、やさしくて、正直だったわ。」

 3人とも、マンダリンのキャンドル追悼会と、教会のミサと、彼の映画の上映会に参加することで、記念日を過ごす予定だという。そして彼女たちは、今週から香港に「巡礼の旅」に来ている、海外からのファンたちにとても会いたがっている。「彼が亡くなった後いくつかのウェブサイトを見て、彼のファンが海外にとてもたくさんいること、そして海外のファンたちも彼がなぜ死んだのかを知りたがっている、ということが分かったの。」プーンが言う。「それから私たちは、うつ病について知りうる限りのことを知ろうとして、ファンたちにも知ってもらおうとしたの。」ンーが言う。

 この12ヶ月で、彼女たちは、うつ病は誰にでも起こりうる病気であることを学んだという、そして様々なレスリー・チャンのウェブサイトを通じて、ファンたちにこの病気についてもっとよく知ってもらおうとしている。悲しみのなかから前向きな何かをもたらせたら、という希望をもって。

 リーもおなじ意見だ。レスリーの死は、香港の人たちがこの時点まであまり話題にしようとしなかった社会の一面を照らし出した。そして、これが2003年4月1日以降に変わった「何か」ではないか。「最後の日まで、彼がなにか調子がわるいことを、彼の親友でさえも感じることができなかったのね。でも、今となって私たちは、『なにか調子がわるかった』ことを知っている。たぶん私たちがもっと知っていたら、助けられたかもしれないわね。」

Contributed By :Julie

和訳:もも



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