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an article about Leslie Cheung Gwok Wing-



Time Asia --- Forever Leslie

2001.5.7 リチャード・コリス

俳優、歌手、アイドルとして息の長い活動を続けるレスリー・チャンは、香港が生んだ最高の恋人だ。誘いつつ拒む誘惑的なスタイルで、彼は観客をじらし続ける。


ウォン・カーウァイの「欲望の翼」の冒頭で、レスリーはマギー・チャンに話しかける。マギーはきれいで寂しげ、レスリーは鬱屈していてスーパークール。だしぬけに彼は得意そうに言う。「今夜、きっと僕の夢を見るよ」。翌日また立ち寄ったレスリーに、あなたの夢なんか見なかったわよとマギーは自慢する。レスリーは自信たっぷりに言葉を返す。「当然さ、一睡もできなければね」

これが、我々にとってのレスリーだ。ものやわらかく洗練され、うぬぼれが強く、ちょっと冷たいところがあって(この冷たさがいいとみんな言う)、悲しげな孤独の気配を漂わせている。70年代の後半からカントー・ポップのアイドル、そして映画スターになったレスリーは、カナダの批評家ジョン・チャールズによれば「香港のエルヴィス」だ。レスリーは俳優として最高のギャラをもらい、新CD「Forever Leslie」はチャートを駆け上がり、彼のコンサートは世界中で人々をひきつけている。ラス・ヴェガスのシーザース・パレスで行われたクリスマス前のコンサートでは、チケットはすぐに売り切れ238ドルにまで値上がった。

香港で、レスリーは貪欲なパパラッチたちの格好の餌食だ。「連中はどこにでもついてくる。ぼくの車のナンバーを知っているから、マンダリン・ホテルのコーヒー・ショップであろうがプロパガンダ(おしゃれなゲイクラブ)であろうが、ぼくがいる所ならどこにでも現れるというわけ。家の外にゴミを出すことだってできないよ。みんながやって来て物色しては売るんだから」

いまだに輝きの絶頂にあり、いまだにとてつもなくゴージャスでなければ、レスリーはポップス界での長命を誇る記念碑的な存在になっていただろう。香港を訪れた人が地元の人にレスリーの話をすれば、必ずこう聞かれる。「彼、何歳だと思う?」(まるでレスリーがドリアン・グレイのように、朽ちはてつつある自分の肖像画を屋根裏部屋に隠してでもいるかのような調子だ)。レスリーは今44歳。人々の目に晒され続けながら、魅力を振りまいてみたり、出し惜しみしてみたりと、その手練手管に磨きをかけてきた。彼は誘惑しつつ引き、誘いつつ拒む。アジアのショービズ界で、一番狡猾で挑発的なじらし屋なのだ。

レスリーはとても器用な俳優だ。アートフィルムでも(たとえば「覇王別姫」での不安を抱えたゲイの京劇俳優)、アクションでも(たとえば「男たちの挽歌」でのセンシティブな若い警官)、ファンタジーでも(たとえば「白髪魔女伝」でのブリジット・リンを山頂で待つ恋人)、ゴシックロマンスでも(たとえば「夜半歌声」での妖怪じみた歌手)、軽いコメディーでも(たとえば「金枝玉葉」での音楽界の大物)、様々な役を楽にこなしている。昨年は「ダブルタップ」でサイコ・キラーも演じた。

このような様々なキャラクターの中に、単純化できない、謎に満ちた「レスリー」がいる。美しい男がいる。その性的魅力は、彼に魅せられた者にとって贈り物でもあり災いでもある。自分を愛する人間を棄てる、これが典型的なパターンだ。レスリーは映画の中で誰よりも多く「愛していない」と言わねばならない。彼は単にキャメラを魅惑しているだけではなく、キャメラの前で繊細極まりない奇跡を行っているのだ。「欲望の翼」では、巧みにチャチャを踊りながら、全身が映る鏡で自分を値踏みするように見つめ、そのシーンを魅惑的なものにした。それから、許しはしないという顔のクローズアップでは、筋肉ひとつ動かすことなく、感情の温度を変えてみせた。彼の中で感情が高まるのが、紅潮や傷さながらに見えてくるのだ。

コンサートで、レスリーはノリの悪い広東人のオーディエンスを盛り上げ、ついには彼らをステージの前で総立ちにして踊らせ、ポップの神に仕える信者にしてしまう。彼らの清浄なエクスタシーはレスリーを興奮させる。彼は愛されることを渇望しているのだ。香港で2週間前に締めくくられた、ほぼ1年間に及ぶパッション・ツアーでは、天使の羽根をつけた白いタキシードからやんちゃなスカート(と黒くて長い髪)まで、ジャン−ポール・ゴルチエの衣裳を8着身につけた。トロントのコンサートで「レスリー、愛してる!」と叫び声が上がったとき、彼は「ぼくも愛してるよ。君が男の子でも女の子でもね」と応えた。このフレーズは「金枝玉葉」での彼のセリフと同じものだ。憂いに沈めば爆発もする魂を持ち、嘲笑も熱い涙も身に備え、レスリーはすべてが男であり女でもあるのだ。

この大胆な役柄を演じることをレスリーは楽しんでいる。彼の最新ミュージック・ビデオにはあまりにセクシーなパ・ドゥ・ドゥー(相手は日本人の男性バレエ・ダンサー)のシーンがあるので、香港のトップチャンネルTVBで放映禁止になった。こんな作品を出せば、自分の性的指向を公にしてはいないものの、レスリーはゲイだとオーディエンスが疑う(または賞賛する)ことを彼はよく知っている。「バイセクシュアルといったほうがピッタリくるかな」と彼は言う。「ガールフレンドもいたし。22歳くらいのとき、テレサ・モー(当時のTVB連続ドラマでレスリーとよく共演した女優)に結婚を申し込んだこともある」。先月、ケーブルテレビのテレサ・モーの番組にゲスト出演したレスリーは冗談っぽくこう言った。「あのとき君が結婚に同意していたら、ぼくの人生はまったく違ったものになっていたかもね」。

彼の人生は波乱に満ちている。張國榮は、香港の仕立て屋(父はウィリアム・ホールデンやアルフレッド・ヒッチコックのスーツを仕立てた)一家の、10人きょうだいの末っ子として生まれた。「子ども時代は幸せじゃなかったね。言い争いや喧嘩ばかりで、家族で一緒に暮らすことはなかった。ぼくはおばあちゃんに育てられたんだよ」。彼のすぐ上のきょうだいでも8歳年上だった。「ぼくは一番小さくて、一番孤独だった。兄たちはしょっちゅうデートに出かけていたから、ぼくは隅っこにひとり取り残され、GIジョー人形やバービー人形で遊んでいたんだ。みじめだったね。父はぼくや母に対して、感情のコントロールができない人間だった。しょっちゅう思ったよ、これが結婚というものかってね」。

12歳になると、レスリーはイギリスのノーフォークにあるノリッジ校に入った。「人種問題、つまり差別はあった」と彼は言う。「だけど、友だちもできた。週末には、レストランを経営しているサウスエンド・オンシーの親戚の家によく行ったよ。ぼくはバーテンダーの仕事をして、歌も歌った、アマチュアとしてね」。この頃すでに彼は、自分のイングリッシュ・ネームを決めていた。「映画の「風と共に去りぬ」が大好きで、レスリー・ハワードも好き。レスリーって名前は男でも女でも使えるよね。とってもユニセックスだもの。だから気に入ってるんだ」。

リーズ大学で1年間テキスタイル・マネージメントの勉強をした後、レスリーは香港に帰り、ATVのアジアン・ミュージック・コンテストで「アメリカン・パイ」を歌い準優勝した。1978年の映画デビュー作は「紅楼春上春」で、レスリーが裸のお尻を披露したことだけが注目された作品だ。それにもかかわらず、映画製作者たちはレスリーに、美しく、もろく、しかも危険な、新しいタイプのスターの魅力を見出した。その魅力が彼にはまだある。それどころか、いっそう強まってさえいる。つれないジェームス・ディーン、より深みの増したジョニー・デップ。それがレスリーだ。

レスリーは「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」と「ルージュ」で亡霊の恋人を魅力的に演じ、スターとして賢明な方向転換を図った。その後、チェン・カイコーの「覇王別姫」でさらに充実した素晴らしい演技を披露し、国際的な称賛を得た。しかしスクリーン上に内なるレスリーを照らし出したのは、ウォン・カーウァイその人だ。「欲望の翼」で彼は60年代の阿飛(怠惰な若者)になりきった。自分を棄てた母へのお返しとして、女に残酷に振る舞う青年を演じ、レスリーは香港電影金像奨で最優秀主演男優賞を獲得する。武術に秀でたやくざ者に扮した「楽園の瑕」は、香港トップスター総出の、歓喜に満ちた映像が輝く映画で、彼はこの映画のつなぎ役を巧みに演じた。「ブエノスアイレス」では、レスリーはトニー・レオンに俳優としての覚悟を教えている。

この映画は、2人のメイン・キャラクターが裸でセックスしているシーンから始まる。「ラブシーンを撮ることになったとき、トニーは本当にショックだったんだね」とレスリーは振り返る。「彼は演技を拒んだ。そして2日間、みじめったらしくベッドに寝転がっていた。だからぼくは、彼のそばに行きこう言ったんだ。『ぼくのことも考えてみろよ、トニー。映画の中で何度も何度も女の子にキスしたり、触ったり、胸をつかんだりしてきたけど、ぼくが本当に楽しんでいたと思う? 今回のことは、単なる仕事だと、ノーマルなラブシーンだと思えよ。ぼくは君と恋愛する気はないし、君と本当にセックスしたいわけでもない。君はぼくのタイプじゃないしね』。それで、トニーはラブシーンを演じることを承諾したんだ」これを言い換えるとこうなる。いい子だ、トニー、演技しようよ。

レスリーは1時間のミュージック・ドラマとオールスター・キャストの禁煙キャンペーン映画を監督しているが、俳優業は続けている。まもなくアニタ・ムイやカレン・モクと一緒にスタンリー・クワンの映画の撮影に入るし、「グリーン・デスティニー」のヒロイン、チャン・ツィーイーが共演となる、チャン・イーモウとの仕事も希望している。このように、いつまでも若いレスリーでありながら、返還後の香港における自分の位置に、彼は中年的な疑いをいだいている。「20年間、血を吐く思いで懸命に仕事をしてきた」レスリーは熱を込めて語る。「お金が全然なくて、食うために頑張り抜いた。そして今、ほどよい大きさの一戸建てに住めるようになった。ぼくは日本や韓国ではいまだに高い人気がある。だけど香港では、少し盛りを過ぎてしまった存在なのかもしれないね。香港はあらゆるものを浪費する場所、低俗で、金のかかる場所なんだ。香港に対して、たぶんぼくは弱過ぎるんだろう。自分がここの一員だと思えない時もあるよ」

レスリー、いい子だ。鏡に姿を映して、エレガントなチャチャを踊ってみようよ。自分がなんであったか、そして、いまだに変わっていないことがわかるはずだ。そう君は、恋人、愛人、魅惑的な王子さま。


Thanx boudu。








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